こんばんは 寺澤です。
今日はまるで真夏の暑さですね∑(゚Д゚)
新型コロナの影響で日本テニス連盟、女子テニス連盟などの試合は中止になったり延期になったりしています。
当然ですよね。。。高校インターハイも無いんですから。
テニスが出来る幸せを噛み締めています。
そして、みなさんがサンライズに出向いてくれることにとても感謝しております。
ありがとうございます。
さて、登戸サンライズもあと数年で35周年がやってきます。
私もあと数年でコーチ歴25年になります。
今日は続けるということの大切さを書こうと思います。
私は子供の頃からスポーツ万能で、小学5年生で跳び箱8段を跳んだり縄跳びも三重跳びが出来たり、リレーもいつもアンカー。スポーツなら何をやってもすぐ簡単に人並み以上に出来たのですが、やってみたスポーツの中で唯一上手くいかなかったテニスにどっぷりハマって、未だに上手くいかなくいなぁーと日々練習しています。
テニスコーチ養成の専門学校出身なのは以前書きましたが、その学校ではA.B.Cの三段階のレベルでクラス分けしてあり、わたしは入学当初1番下のCクラスでした。
そこからなんとか卒業するまでにAクラスまで這い上がって登戸サンライズに就職した訳ですが、
ここからがまた大変でした。
中級の生徒さんの方がラリーが続けられる(^^;;
入社してから数年経ち、こんなんじゃダメだ!と、練習をして毎日新聞トーナメントに参戦。神奈川の某テニススクールのコーチに3-6.0-6で惨敗。
ぜんぜん話にならない。26歳でした。
こんな底辺から始まった私でも目標をもって挑戦出来る場が女子テニス連盟主催の試合でした。
女子テニス連盟主催の中で最高峰の大会、全国レディーステニス おばさんの甲子園と言われてる試合です。
これを目指して30歳くらいから練習と試合の日々。
試合に出始めてから、誰かの真似のようなレッスンの内容も自然と自分で組み立てられるようになりました。そして、たくさんの方が私のクラスに来てくれるようになりました。
試合に挑戦していく中で、主婦になってからテニスを始めた方でも目標に出来る試合を多数開催してるこの女子テニス連盟通称女子連の試合に【サンライズのみんなも出てみたらいいのになぁ。】と思いはじめ、当時平日の上級はガラガラでどうしたら活気溢れるスクールに出来るかを模索していたこともあり、
女子連チーム登戸サンライズを作ることを決心しました。
様々な意見などもあり、作ってから一年、二年少し大変なこともあり思い悩んでる私に社長が
『陽子ちゃん。新しいことを始める時は必ず反対意見が出たりするの!私も今まで新しいことを始めようと思ったときにいつもそうだったわよ。
でもね!絶対にやめないこと!みんなの為にやるんだと陽子ちゃんが決めているなら尚更、絶対にやめてはいけない。やめるということは失敗したということ。続けることが大事なのよ!』
この言葉で悩んでたことよりも、みんなの為にやるんだという気持ちが強くなり、試行錯誤しながらチーム作りを続けました。
一、二年は練習会の仕切りも対外試合も全て私が仕切ってましたが、今では年に一度のクラブ代表者会議に出席するくらいであとはすべてサンライズの会員であるチームのメンバーが手分けして仕事をこなし、月一の練習会のメニューも自分たちで考えるまでになりました。
昨年から【一人、一人が何かに挑戦する団体】をモットーにしました。
それぞれが家庭、仕事、介護、テニスなど何かに挑戦してる姿はとても美しいです。
設立当初と比べ、サンライズの平日中上級以上の奥様方の人数はかなり増えました。
インドア、アウトドア両スクールはいつも賑やかです。
これからも、【試合なんてどうせ負けちゃうし】【あの人みたいに強気じゃないし】とか、自分がそうであったように誰かと比べるんじゃなくて、自分が輝く為に登戸サンライズで出会った友人と切磋琢磨して今日よりも明日さらに輝く自分になるためにみなさんお一人お一人が過ごして頂けたらと。その少しのお手伝いをするために、女子連チーム登戸サンライズをずっと存続させていきたいと思っております。
また、女子連にはまだちょっという方のためにずっとやっている寺澤カップも続けていきたいと思います。